ありがとぅ!瀬田工業高校茶道部の皆さん
あっという間に過ぎて行きました、五月もまた、であったのですが、ときの経過の
速さの陰に隠れて、このブログに書ききれないことも数々ありました。
それらを呼び戻すように、今月の最後に登場してくださったのは、近くにある
瀬田工業高校茶道部(わか者からなる工業高校に茶道部があるのかいな、という「?」
は我が蒙昧?偏見?)の生徒さんと2名の先生計約10名。
先般当所で行われた専門画家による展覧会を見に来られた先生が、茶室を始めとする
佇まいの渋さ、面白さにも関心をもたれ、是非茶道部の生徒たちにもじっくり見させて
ほしい、ついては実体験の第一歩として「お掃除」も経験させてほしい
という有難いお言葉。
茶室はついこの間のお茶会の前にきれいにしていただいたから、庭を中心にお願いしよう
ということになりました。
中でもいつも後回しになるのが、当所の中ではかなりの売り物の一つである、
(中秋の)名月が水面に映るのが間近に見ることが出来る、膳所城の天守閣の礎石であったと
伝えられる手水鉢の、水の入れ替え。
雨水の溜まるに任せている面もあり(私が高齢化してきて敏速に搔い出しなどできない・・
管理者本人のつぶやきだからホンマのことです)、今回若い青年(少年)の力に
助けてもらうには格好。
本日のことを全面的にお願いした I 君の指揮の下、若者たちは整然と動いてくれた
ようです。
私が、たまたま案内した別のお客さんのところからから戻った時には、手水鉢はもとより(水の
入れ替えも完了、)ちょっと離れたところの草引きもほとんど終えていてくれました。
勿論手水鉢は底までスッキリ。
彼らには是非中秋の名月の夜には見に来てほしいですね。
ということで、一件完遂。
よい6月を、あわよくば秋までも、迎えられるかな。
結局は 水割りにして 五月果つ 六甲 (これは我が心。未成年には×ですね)
3年生は既に全員就職内定しているという彼らに 乾杯!
速さの陰に隠れて、このブログに書ききれないことも数々ありました。
それらを呼び戻すように、今月の最後に登場してくださったのは、近くにある
瀬田工業高校茶道部(わか者からなる工業高校に茶道部があるのかいな、という「?」
は我が蒙昧?偏見?)の生徒さんと2名の先生計約10名。
先般当所で行われた専門画家による展覧会を見に来られた先生が、茶室を始めとする
佇まいの渋さ、面白さにも関心をもたれ、是非茶道部の生徒たちにもじっくり見させて
ほしい、ついては実体験の第一歩として「お掃除」も経験させてほしい
という有難いお言葉。
茶室はついこの間のお茶会の前にきれいにしていただいたから、庭を中心にお願いしよう
ということになりました。
中でもいつも後回しになるのが、当所の中ではかなりの売り物の一つである、
(中秋の)名月が水面に映るのが間近に見ることが出来る、膳所城の天守閣の礎石であったと
伝えられる手水鉢の、水の入れ替え。
雨水の溜まるに任せている面もあり(私が高齢化してきて敏速に搔い出しなどできない・・
管理者本人のつぶやきだからホンマのことです)、今回若い青年(少年)の力に
助けてもらうには格好。
本日のことを全面的にお願いした I 君の指揮の下、若者たちは整然と動いてくれた
ようです。
私が、たまたま案内した別のお客さんのところからから戻った時には、手水鉢はもとより(水の
入れ替えも完了、)ちょっと離れたところの草引きもほとんど終えていてくれました。
勿論手水鉢は底までスッキリ。
彼らには是非中秋の名月の夜には見に来てほしいですね。
ということで、一件完遂。
よい6月を、あわよくば秋までも、迎えられるかな。
結局は 水割りにして 五月果つ 六甲 (これは我が心。未成年には×ですね)
3年生は既に全員就職内定しているという彼らに 乾杯!
ここに一つの国際交流
関係の方々が当所を初めて訪問されたのは今年の2月の初めでした。
滋賀県では初めての試みとして、「韓日交流お茶会」なるものを
日本の国指定重要文化財であり、茶席として関西だけでなく、日本国内でも
かなり知られた当「蘆花浅水荘」で、5,6月ごろ行いたいとのことでした。
いよいよ我が家も「国際的!」。私に断る理由はありません。
その後、下見、打ち合わせを重ねて、一昨日(5月26日)、
在日本大韓民国民団滋賀県地方本部 韓国茶文化協会と 日本側は当所を以前から茶席だけでなく
いろいろな場面で利用していただいている地元「しなやかシニアの会・茶道部」(裏千家)の
共演の形で行われました。
天候も、少し雲りがちだったのが幸いし参加の皆さん(双方スタッフも含め計100名近く)
それなりに程よい風を受けながら、熱くもなく冷えるでもなく、その場や韓日の茶の味を
楽しんでいただいたようでした。
最初に代表の方からいただいた企画書にあった、
<目的> 韓国日本の共通する茶文化を、それぞれの地域で発展してきた経過を
研究しながら、滋賀県大津市に位置する重要文化財 蘆花浅水荘にて
地域に根差す国際交流を繰り広げること
は見事に果たされてたなあ、当所も自分もささやかながら、その一端には加われたかな、
と思いつつ、早朝開いた門を静かに閉じた夕べでした。
後は
五月なり よく働く手 よく洗ひ 武を
滋賀県では初めての試みとして、「韓日交流お茶会」なるものを
日本の国指定重要文化財であり、茶席として関西だけでなく、日本国内でも
かなり知られた当「蘆花浅水荘」で、5,6月ごろ行いたいとのことでした。
いよいよ我が家も「国際的!」。私に断る理由はありません。
その後、下見、打ち合わせを重ねて、一昨日(5月26日)、
在日本大韓民国民団滋賀県地方本部 韓国茶文化協会と 日本側は当所を以前から茶席だけでなく
いろいろな場面で利用していただいている地元「しなやかシニアの会・茶道部」(裏千家)の
共演の形で行われました。
天候も、少し雲りがちだったのが幸いし参加の皆さん(双方スタッフも含め計100名近く)
それなりに程よい風を受けながら、熱くもなく冷えるでもなく、その場や韓日の茶の味を
楽しんでいただいたようでした。
最初に代表の方からいただいた企画書にあった、
<目的> 韓国日本の共通する茶文化を、それぞれの地域で発展してきた経過を
研究しながら、滋賀県大津市に位置する重要文化財 蘆花浅水荘にて
地域に根差す国際交流を繰り広げること
は見事に果たされてたなあ、当所も自分もささやかながら、その一端には加われたかな、
と思いつつ、早朝開いた門を静かに閉じた夕べでした。
後は
五月なり よく働く手 よく洗ひ 武を
なかなかブログ進まず
先回ここに綴ったように、少し心身に余裕が出てきたところ
だったのですが・・
拝観の人は少し落ち着いたのですが、お役所の方、議員さん、茶道の関係の方(お茶会希望
や既に予約済みの方の一段進んだ打ち合わせ)、建築関係の雑誌の写真撮影、京都の最近親しく
してもらってる画伯、等々のご訪問。その間を縫って、中学の同級との交歓、町内の長老宅への弔問、病院への薬もらいと受診、
はては、少し言い残したことのある大学テニス部後輩への挨拶、これから拝観客を案内して
もらう人たちへの説明会等々。
勿論その間にやってくる電話、メールへの応対。
満81歳の老人(ではまだ無いのかな)1人には少しオーバーワーク?
それもありがたき事?
少し周りを見渡せる よゆう が出来た今日は、早や20日直前。
今年の後半のサマを少し予感させるような日々を送った結果です。
湖上から新樹を越えてやってくる五月の風を吸ってみます。
夢さめて 八十路の息吹き 若葉彩 作二
だったのですが・・
拝観の人は少し落ち着いたのですが、お役所の方、議員さん、茶道の関係の方(お茶会希望
や既に予約済みの方の一段進んだ打ち合わせ)、建築関係の雑誌の写真撮影、京都の最近親しく
してもらってる画伯、等々のご訪問。その間を縫って、中学の同級との交歓、町内の長老宅への弔問、病院への薬もらいと受診、
はては、少し言い残したことのある大学テニス部後輩への挨拶、これから拝観客を案内して
もらう人たちへの説明会等々。
勿論その間にやってくる電話、メールへの応対。
満81歳の老人(ではまだ無いのかな)1人には少しオーバーワーク?
それもありがたき事?
少し周りを見渡せる よゆう が出来た今日は、早や20日直前。
今年の後半のサマを少し予感させるような日々を送った結果です。
湖上から新樹を越えてやってくる五月の風を吸ってみます。
夢さめて 八十路の息吹き 若葉彩 作二
久々に向こう岸へ
なかなかはっきりしなかった天候も五月の二日あたりから、
「風薫る・・」と言えるような感じになってきました。
5月3日の膳所のお祭りも、しばらくのコロナ禍のせいでの自粛から
覚め、今年は本来のにぎにぎしさの中で行われました。
続く昨日4日も晴天。湖水の色も晴れやかです。風も心地よし。
坐骨神経痛は少し気になるけれど・・妻に声掛け、近江大橋渡りを
決行しました。
12時前少しコワゴワ出発します。以前は対岸のイオンモールまで、
普通に歩いて(歩けて)25分ちょい、しばらく(3年ほど)歩いておらず、
しかも少しながら神経痛もち。
でも人知れぬ山中などへ行くでなし。歩けなくなりゃ、休み休み・・とにかく
向こうまで行けばあちらにはバスもあるし、タクシーも呼べる。
年の割には楽観的になって、少し高くなった橋への階段を昇り、対岸めがけて
歩きます。
ときどき吹き抜ける風と眼下にキラメク湖面が元気づけてくれ、心配していた
足の痛みも出ず、気も確かで、35分ぐらいで到着。
妻に頼まれていたちょっとした用事をすませ、かんたんな昼食を済ませます。
帰路はバスでJRの草津か瀬田を回って帰ろうかとも思っていたのですが、
昼食時に少し休憩できたことをタヨリに、エーイ帰りも歩こうか、と
ゆっくり一歩を踏み出し、そのまま膳所へ向かいました。
少し追い風にも恵まれたようです。
来た時より少し短い時間で我が家に無事戻れました。
不安は少し除かれ、ちょっと長いと思える距離も歩いてみるものだな、
という「勇気!」を取り戻した一瞬でした。
五月来ぬ 心開けし 五月来ぬ 立子
なんだって できる気がする 五月かな 美智子
(こちらはちょっと気負いすぎかな)
「風薫る・・」と言えるような感じになってきました。
5月3日の膳所のお祭りも、しばらくのコロナ禍のせいでの自粛から
覚め、今年は本来のにぎにぎしさの中で行われました。
続く昨日4日も晴天。湖水の色も晴れやかです。風も心地よし。
坐骨神経痛は少し気になるけれど・・妻に声掛け、近江大橋渡りを
決行しました。
12時前少しコワゴワ出発します。以前は対岸のイオンモールまで、
普通に歩いて(歩けて)25分ちょい、しばらく(3年ほど)歩いておらず、
しかも少しながら神経痛もち。
でも人知れぬ山中などへ行くでなし。歩けなくなりゃ、休み休み・・とにかく
向こうまで行けばあちらにはバスもあるし、タクシーも呼べる。
年の割には楽観的になって、少し高くなった橋への階段を昇り、対岸めがけて
歩きます。
ときどき吹き抜ける風と眼下にキラメク湖面が元気づけてくれ、心配していた
足の痛みも出ず、気も確かで、35分ぐらいで到着。
妻に頼まれていたちょっとした用事をすませ、かんたんな昼食を済ませます。
帰路はバスでJRの草津か瀬田を回って帰ろうかとも思っていたのですが、
昼食時に少し休憩できたことをタヨリに、エーイ帰りも歩こうか、と
ゆっくり一歩を踏み出し、そのまま膳所へ向かいました。
少し追い風にも恵まれたようです。
来た時より少し短い時間で我が家に無事戻れました。
不安は少し除かれ、ちょっと長いと思える距離も歩いてみるものだな、
という「勇気!」を取り戻した一瞬でした。
五月来ぬ 心開けし 五月来ぬ 立子
なんだって できる気がする 五月かな 美智子
(こちらはちょっと気負いすぎかな)