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今年の七月もいくー

最初から判っていた、今年の時間の動きでしたが。
3~6月の、「春挙記念展」の開催とそれにまつわる
諸々の関連の準備と実践の目まぐるしさ。
そして、それが何とか我々サイドでも大過なく終り、
七月はほっと一息、つけるはずだったのですが・・
展示会そのものや、それにまつわる(当方への)お金の動き、など
を整理しているうちに、もう七月も終り・・
末日近く、ようやく周りを見回す余裕がうまれました。
セミの音や、花の動きは、先日触れました。
今日は雲の動き。
空には雲が、今なら入道雲がたくましく。
かつての頃ならテニスコートから眺めていた、ぐんぐん発達していく
雲に、我が青春を重ねわせていた・・
今はふーっと一息ついて、ゆっくり見上げている・・
まだ少し、しとかんといかん事がある・・
ときよ、もうちょっと待ってて。

  余生なほ 進行形よ 雲の峰  順子

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サルスベリとムクゲの共演

我が家の表門の南東側には、湖岸道路につながる道が走り、
クルマもひとも結構よく通ります。
そこにこの時期になると、敷地内からサルスベリの花とムクゲの花が
「私たちも咲いてまあす」と言いたげに道路に身を乗り出します。
3,4日前、愛知の方で第4次コロナ予防接種を受け、戻って来た
私をこれらの花が紅白に身をやつし、蝉の声をBGMとしながら、
迎えてくれました。
コロナ禍という、未曽有の災禍!受けてそれを如何ともしがたく
只管!忍んでいる人間さまをしり目に、これらの動植物はトキを違えず、
己がつとめを果たしています。
それを見ると、私にとっては、とても大きな「一世一代」と思えた
「春挙展」などの一連の行事も何だかちっぽけに思えてきますね。
自然の営みの「自然さ」をあらためて尊く思いながら、
「自然体」の意味を自問しています。
ようやく夏らしくカッと照り付けるようになった日が見下ろしています。

  炎天の 地上花あり 百日紅  虚子

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セミ時雨を浴びながら

2,3日前から、門内の楓にすがりついて、セミが鳴いています。
今日はその声を聞きながら、3年振りの祇園祭の山鉾巡行を
TV観戦です。
本来厄除を起源に持つというこの祭りがコロナ禍で3年振りの実施というのも
変な話ですが・・・
コンコンチキチンのお囃子がTV越しにでも聞けるのは、何度となく
町に出て聞いたものとしては嬉しいですね。
学生時代は、軟式テニスの夏の大きな大会への遠征のため、
京都にはおらず、この時期の思い出は、その大会の事ばかり。
じっくり間近かに眺めたのは会社勤めを終えて大津に戻った60歳以降。
大学軟テ部OBで関西に住む旧友たちとの年中行事となりました。
老い先短い?我々としてはこの2年間のブランクはいささか大きいけれど、
「厄除」として、これを機に日本の空気が変わることを祈る!ところ大ですな。
途中拝観客あり、終わって門の所に出ればセミの大合唱変わらず。

   雨上がり 命の限り 蝉鳴けり   一男



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まだまだ続く春挙展

滋賀県立美術館での春挙展は先日閉幕しましたが。
引き続き今日より場所を岡山県笠岡市竹喬美術館に移して
9月11日まで開催されます。
小野竹喬師は1889年(明治22年)生まれ、竹内栖鳳師に師事し、
後に文化勲章を受章しておられます。
そういう方の由緒ある美術館にて、春挙の個展が開催されるのは
身内の者としても誠に喜びに絶えません。
竹喬美術館関係者はじめ、仲を取り持たれた滋賀県立美術館の
関係の方々にも、厚くお礼申し上げます。
このような場を通じて、往時の名前がまた甦ることを祈りましょう。
山陽・山陰路の方々が春挙の作品に直接出会われ思いを新たにして頂ければ
幸いです。
春挙より20歳ほど年下の竹喬氏は春挙が亡くなったとき、
追悼号の一隅に小文を寄せておられます。
春挙の初期の作品の重厚かつ気格の雄渾さに触れておられますね。
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7月12日という日

今日は7月12日。
今年生誕150年を記した春挙の命日です。
1933年(昭和8年)まさに油の乗り切った、人気絶頂の身に
突然の死が訪れたようです(父母から聞いたり、当時の新聞を眺めたり
しながら思いを巡らします)。
62歳という齢は、画家としてはかなり短いものだった・・・
長生きも芸のうち。
ギリシャの哲学者にして解剖学者のヒポクラテスが、その死に
際して発したと言われる「芸術は長く、人生は短し」の言は、
一般には「人の一生は短く、その作品たる芸術品は長く生きる」と
解されるようですが、ヒポクラテスの本意は「一芸を極めるには
とても時間がかかり、一人の人生は短か過ぎる(た)」ということだったとも
伝えられます。
偉大な芸術家(と私は思っています)に出会えなかった孫として、
春挙のことを思う度、私はこの言葉の持つ二重の意味を噛みしめます。
特に命日には。
(彼の作品の一つである「蘆花浅水荘」の一室にて)

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早や七夕

7月に入っても時の速さは衰えず・・
3月から6月末にかけての、「特別拝観」に関する
人やお金の動きを少しまとめている間に、早や今日は
七夕。
一つの大きな行事が終わったこの瞬間、短冊に書くべき
願い事もなく。
相変わらず元気に季節の移ろいをそのまま受けている
庭の木々や草々を、眺めつつ日常生活を取り戻そうと
しています。
次なる春挙に関する大きな行事があるとすれば「没後百年」?
2033年・・生きてたとしても、今回のようなエネルギーは
もうないはなあ。
この作品をどのような姿・形で後の世に引き継いでいくのか。
次の大きなテーマ?・・・・

  願ひより 祈りを深く 星祭  華子
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