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今年(2023年)も後 半日

「春挙生誕150年」という、私にとってかなり大きな年を越え、
少し落ち着いた形で迎えた今年。
「蘆花浅水荘」というある意味春挙渾身の作品を如何に次代に残していくか、
というまた次元の違う大きなテーマに取り組みを始めた年でもありました。
地域はもとより、いろいろな人々のいろいろなお力を頂きながらよちよち歩き始めました。
従来の「拝観」という 点Or線で積み上げて来た方策はそれなりに固めつつ
(卑近ではありますが、拝観料の改訂、PRや受け入れ態勢充実等)、「蘆花浅水荘」
というものを「身近で貴重な文化財」としてさらに世に問う=文化人と呼ばれる人や
芸術家として活動する人ひいては実業界の人々にも気軽に出入りしてもらえる=
システム作り等であります。
80歳を越えた私には「時間との戦い」も加わりますが、それも考慮に入れつつ
この方面の取り組みに力を注いで行きます。
来る年も皆様のお力をよろしくお願いいたします。

しめ飾りの取り付け・新年度のカレンダーの取り換え・トソ、雑煮の準備
等も終え、新年の到来を待つばかりです。
皆様どうぞよいお年を!

  一年の 心放して 年送る       歌子 
  得しもあり 置き來しもあり 年送る  角子
 



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寒さが街にやって来て

4連戦の頃から随分寒さが厳しくなっていることは実感して
いましたが
サムサが街にやってきて・・
サンタが街を出て行って・・
いよいよ今年も年の暮れ。
初氷も張り終えた我が庭には北風が我が物顔に吹いています。
夏秋の変則的な気候変動にも、その後の温度の急変にも
どこ吹く風と平然としていたかに見えた芦もここへきて
少し頭を下げてヘバリ気味に見えますね。
しかし「時」は変わらぬリズムを刻みながら悠久のなかを
歩み続けてます。
そして80歳の私は黙々と人生の冬の果てへ歩み続けます。

こんな句が朝寝の我が耳に

  眼に残る 親の若さよ 歳の暮  太祇


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師走半ばに4連戦

我が家としてのハイシーズンを終え、少し心身にゆとりの
出来るところに来ました。
すると、待ち構えていたように幸か不幸か4連戦。
こちらは忘年会のそれです。
若いころなら先頭に立って仕組んでいたものでしたが・・
80歳を越えてこのような機会に「恵まれる」ことを喜んで
よいのかどうか。
まあ、良しとしましょう。と独り言して。
少なくとも、お呼びがかかったり、それに応じられる健康と飲力が
あることを有難いと思いましょう。
というわけで、
15日から18日、戦場に向いました。
15日:11月末に開催した現代洋画展の打ち上げ。
    予想以上に好調に推移したことを喜びながら。
    肝心の作家佐々木師は以前から予定しておられた
    白内障の手術で欠席なのを構わずスタッフのみで快気炎。
    師とは年明け快気祝いでなどとサカナにして。
16日:大学ソフトテニス部の後輩(現役諸君)の納会コンパ。
    前OB・OG会長としてこういう席への出席も、
    たまには必要だと思う気持ちと
    真冬の夜、しかも若者たちとの交歓とあっては、
    逆に迷惑かと思う気持ちが交錯しましたが、これを
    最後の出席として途中退席を前提として思い切って出席。
    何とか迷惑かけぬうちに姿を消すことが出来ました。
    若者たちの溌溂さを目の当たりにし、青春遙かに遠しとの
    想いのみ強く残りましたね。
17日:私が20年近く前、大津中心の生活を始めたころ、大学のクラブの
    後輩の一人を仲介として、彼が住む市北部ニユータウンのお仲間と
    親しくしてもらうようになりました。
    A氏ご夫妻、Kさん、です。
    淡々とした中にも楽しい飲み仲間というところでしょうか。
    私より8歳上で、最近ちょっと体調不良と聞いていたA氏も
    元気そうな姿を見せてくださいました。
18日:町内会長老会。10人ほどを数えたメンバーも今は6名。
    それでも集まる人は名うての酒豪。ときどき破目をはずすけど、
    全盛期に及ばず。
    2か月に1度のペースで集まる今年最後の宴も今回はジェントリーに
    終始しました。

    以上何よりも「無事」に4連戦が過ぎたことをひとり寿ぎつつ・・

      なにごとも 仏顔して 師走かな  みどり

    通り過ぎれば今年もあと10日。


    



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12月14日という日

12月14日「という日」には触れざるを得ません。
昨年、一昨年はどうだったろうと、ブログを見返して
みるとやはり書いてますね。
少しお付き合いください。亡き母の命日です。
昭和41年(1966年)のこの日57歳での終焉でした。
春挙の姉の孫という一見うらやましそうな家系に生まれ
縁あって嫁いで来た身でしたが、内実は大変だったようです。
父も遅く生まれた長男の私が物心つく頃には国立大学の一角に
禄を食んでいましたが、「蘆花浅水荘」という大きな図体を
持っていくにはなかなかの苦労があったようです。
そんな苦労が私なりに理解できるようになってきたのは、
人並みのサラリーマン生活を一応全うして、この家の維持管理に
専念(それも我が妻子の少なからぬ犠牲の上で)し始めて
10年ほど経たころでしょうか。
ここに戻ったが故の楽しい思いもつくしたとの満足感を傍らにしつつ
80歳に達した今、この建物を文化財として後世に
残すために最適の方法は何だろう、と真剣に考えるように(ようやく)
もなっています。
まだ、アタマは働きそうです。
いろいろな人のお知恵を借りて踏ん張ろうと、それが遅ればせの親孝行と
思わせてくれる12月14日です。



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ありがたき事

昨日、もう今年の最終月12月も一旬に達するような日、
朝9時ころ、我が家の門前に、壮年の方々が少し混じるけれど、
総じて若い男女約20名が揃われました。
S銀行Z支店(ここで私がこう綴れば)、わかる人には分かり過ぎる
と思います。(私も分かっていただけるように書いてます)
恒例の、と言いたいのですが、コロナ禍のため、4年ぶりに
実施していただいた、S銀行さんのそれぞれの支店単位での、
地元でのボランティア活動の一環としての清掃活動の現実の
姿のスタートでした。幸いにも好天。
よき友よありがとう・・と、こちらも普段から当所をベースに
係わってもらってる、Sさん、I さん、Uさんが勝手知ったる当所の
座敷、門内外、庭のそこここ、を案内しながらメンバーに要領を伝えてくれます。
特にこの季節、多いお客さんで埃っぽくなった座敷、落ち葉散り敷く門内外の
溝の中や枯芝の上など、私一人ではとてもやっつけられない部分まで
20名の若い力、あっという間にスッキリしていただきました。
私一人ではもう何とも出来なくなったようなところが1時間後には
見違えるようになっていく、
(私としてもの)カ・イ・カ・ン。
春挙の作品に頂いた若い力をまた生かさんと思いつつ彼らに頭を
下げます。
今年の秋を全力で燃え終えた我が庭のカエデ君たちも同じ思いでしょう。

  散りそうで 散らぬ余生や 冬もみぢ  節子
  冬もみぢ  晩節もかく  ありてこそ 育子



  

  





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当所での初の現代洋画展終わる

12月3日午後6時門を静かに閉じます。
冬至の近づく今、もうあたりは真っ暗。
しかし我が心は晴れやかに。
晩秋のドン付きに静かに幕を開けたこの個展。
日を経るにつれ人の出入りも賑やかさを増し、結果は
企画者の予想をはるかに上回る成果を得て、めでたく
千秋楽。
終始、来場者のお相手を務められた佐々木麦 画伯も
手ごたえを実感された面持ちですっかり色づいた楓の下を
楽し気にくぐり去られました。
100年前、日本画家春挙がその仕事場をメインとしながらも
いかなる人の研鑽や楽しみのよすがともなるよう密かにたくらみつつ
造営した「作品」が100年後に全くと言っていいジャンルの異なる
一人の芸術家と
多くの鑑賞者を満足させている現実を目の当たりにしている孫も
我がことのように満足。
・・芸術は長し・・とつぶやきます。

  冬といふ 語感やはらか 日記書く  千枝子

 

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