懐かしい言葉「春闘」
久々に「春闘」という言葉が新聞紙上やTV画面を駆け巡りました。
大手の企業の賃上げが久しぶりに高水準だったと告げています。
会社に入って数年目、30歳前後の頃、労働組合に対する会社の窓口
にあたる部署に属していた私にとって、会社のトップと労働組合の
首脳陣が賃金引き上げを巡って交渉を行う場面の事務局業務は
大きな仕事の一つでした。
戦後の混乱が社会的にも落ち着きを見せ始め、会社と労働組合は
対立するものでなく、お互いの立場を尊重しながら、共に発展・成長
していくべきである、「闘」という言葉はもう使うべきでないという
意見も出てきました。
「春の話し合い」という訳です。
会社の発展と組合員の生活向上は「クルマの両輪である」
というような言葉も飛び交い真剣な話し合いが繰り広げられましたね。
1か月ぐらいに亘る「話し合い」が一致点に来て「妥結」に至った
瞬間には私たち黒子も大役を終えた感じでそれなりに頭を下げていました。
その頃はもう少し時期が遅く、話し合いを終えて出る会場の傍の池の淵に
咲き始めたサクラを仰ぎ見るのも定番でしたね。
50年も前のことです・・・
大手の企業の賃上げが久しぶりに高水準だったと告げています。
会社に入って数年目、30歳前後の頃、労働組合に対する会社の窓口
にあたる部署に属していた私にとって、会社のトップと労働組合の
首脳陣が賃金引き上げを巡って交渉を行う場面の事務局業務は
大きな仕事の一つでした。
戦後の混乱が社会的にも落ち着きを見せ始め、会社と労働組合は
対立するものでなく、お互いの立場を尊重しながら、共に発展・成長
していくべきである、「闘」という言葉はもう使うべきでないという
意見も出てきました。
「春の話し合い」という訳です。
会社の発展と組合員の生活向上は「クルマの両輪である」
というような言葉も飛び交い真剣な話し合いが繰り広げられましたね。
1か月ぐらいに亘る「話し合い」が一致点に来て「妥結」に至った
瞬間には私たち黒子も大役を終えた感じでそれなりに頭を下げていました。
その頃はもう少し時期が遅く、話し合いを終えて出る会場の傍の池の淵に
咲き始めたサクラを仰ぎ見るのも定番でしたね。
50年も前のことです・・・