後の半年早や2か月目
しかも早や一週目が過ぎます。
後を振り返ることを極力せずに、一生!を過ごしてきた
(要するに無反省に生きて来た)私ですが、最晩年に辿った
この半年のさまざまの経緯(ゆくたて)は老い先長くない(と思わざるを得ない)
これからの日々にも度々(良い意味で)振り返ることになるかも知れません。
それは、かつてただ一すじにスポーツに打ち込んだ青春の日々をときに
思い浮かべるように。
「無為自然」は我が一つの理想ですが、それを思った瞬間に、「無為」でなくなる
このわざとらしさ。
否応なく感じる「とき」の疾さの中で、現にある(ように見える)
「蘆花浅水荘」という春挙の作品に、孫としてどう立ち向かう
のが一番よいのだろう・・一番よいなんてあるのだろうか?
やっぱり「無為自然」か・・
こんなところに書くべきか、とまどいながら、消さずにおいた
真夏の夜のたわごとです。
日焼けあせ 八月の日も とぶごとし 登四郎
また
八月の 雨脚太く 地を打てる 麻紀
後を振り返ることを極力せずに、一生!を過ごしてきた
(要するに無反省に生きて来た)私ですが、最晩年に辿った
この半年のさまざまの経緯(ゆくたて)は老い先長くない(と思わざるを得ない)
これからの日々にも度々(良い意味で)振り返ることになるかも知れません。
それは、かつてただ一すじにスポーツに打ち込んだ青春の日々をときに
思い浮かべるように。
「無為自然」は我が一つの理想ですが、それを思った瞬間に、「無為」でなくなる
このわざとらしさ。
否応なく感じる「とき」の疾さの中で、現にある(ように見える)
「蘆花浅水荘」という春挙の作品に、孫としてどう立ち向かう
のが一番よいのだろう・・一番よいなんてあるのだろうか?
やっぱり「無為自然」か・・
こんなところに書くべきか、とまどいながら、消さずにおいた
真夏の夜のたわごとです。
日焼けあせ 八月の日も とぶごとし 登四郎
また
八月の 雨脚太く 地を打てる 麻紀